So-net無料ブログ作成
前の10件 | -

予定日を前に

本当なら予定日だった1/9がもうすぐやってくる。予定日を前にして、いろんなカタログが届く。授乳ウェアのカタログとか「もうすぐ予定日ですね」とのダイレクトメールとか。
カタログを送ってきた会社には彼が電話をして、もう送ってこないように言ってくれた。それでも心がざわつくので、お参りに行ってきた。
お参りに行くと少し心が落ち着いた。悲しいのは悲しいけど、赤ちゃんが見守っていてくれるような気がするし、彼と一緒にいなくなった息子に対する想いを共有することで、少し落ち着いたような気がする。
会社に行くと、12月予定日だった同僚が無事出産したとのニュースが届いていた。私の事情を知っている人も知らない人も、お見舞いに行くのに私を誘う。さすがにそれはきついので断ったけど、朝お参りに行ったせいか取り乱さずにすんだ。本当だったら今頃生まれてるはずだったのにと思うと切ないけど、少しずつ少しずつ時間をかけて消化していくのかなあ。


nice!(0)  コメント(4) 
共通テーマ:妊娠・出産

これから

「彼」とお別れしたのが8月24日。生理が来たのが9月20日。生理が来たら一度検診をということだったので、病院に行ってきた。子宮もきれいに治っているから、次の生理が来たら妊娠にトライしてみても大丈夫だよ、と先生が言った。最近は少し前向きに考えられるようになってきた、というと、よかった、がんばれとはげましてくれた。

帰ってきて彼と話をした。「やっぱり子供がほしいと思うけど、あんなに辛い思いをさせるのは僕も辛い。だから無理はしなくていいよ」と彼。確かに、あんな思いは二度としたくない。でも子供もほしい。次こそは大丈夫かも…と思う気持ちと、次もダメかもしれない…と思う気持ち。あんな思いを三度四度とは繰り返せないかもしれないけど、もしダメだったとしてももう一度くらい頑張れるかも。無理はしないけど、ほしいと思うからもう一度頑張ってみようって言った。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:妊娠・出産

お墓参り

今日、彼とお墓参りに行ってきた。真夏に戻ったみたいに暑い日だった。赤ちゃんをお空に帰すために入院したのもこんな暑い日だった。

納骨堂に手を合わせ、元気な身体で産んであげられなくてごめんね、でも私のところに来てくれてありがとう、って心の中で言った。あなたがいる間は短かったけど、本当にいろいろ勇気をくれた。大変なことも辛いことも、あなたがいるからがんばろうって思えたのは本当。会うこともできないままお別れした小さな「彼」だけど、確かに5ヶ月一緒に過ごしたよねって思う。

帰り道、やっぱり悲しくなってきたけど、ちゃんとあきらめてあげよう、いつまでも想いを残していると安心してお空に行けないよねって彼と話した。これはひとつの区切りなんだよって彼が言った。またお参りに行くけど、「彼」のことは忘れないけど、それでも少しずつでいいから乗り越えていこうねって。本当にこれを区切りにできればいいなって思った。


nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:妊娠・出産

このごろ

2週間がたった。出血もおさまりつつあり、痛みを感じる頻度も減った。いなくなった「彼」のことを考えない日はないし、泣かずに過ごせた日はない。それでも10日を過ぎた頃から休むことは許されなくなり、日々の仕事はなんとか無感情にだけどこなせるようになった。

無理矢理日常に引き戻され、考える時間を奪われたことで回復してきているような気もする。少しずつだけど泣いてる時間が減って笑える時間が増えている。いつか泣かなくなるんだろうか。

入院中の点滴の針の跡がなかなか消えずに残っていた。この跡が消えれば泣かずに過ごせるようになるんだろうかって考えてた。ふと見ると、点滴の跡が薄くなっていた。

次に妊娠するのは怖いと思いつつ、でもやっぱり赤ちゃんがほしいと思えるようにもなってきた。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:妊娠・出産

このブログについて

妊娠していることに気づいたとき、子宮内に着床しているのがわかったとき、涙が出るほどうれしかった。その感動を忘れないように、自分のため、そして成長日記として書くつもりだったこのブログ。

結果として赤ちゃんは生まれてくることができなかったけど、妊娠期間の中で知った新しい生命に対する愛情や、悲しい告知で動揺したこと、彼と話し合ったことなど、すべてを含めて、生まれてこなかった「彼」への思いを忘れたくないから、辛いことも含めてここに書いて残したいと思った。


nice!(1)  コメント(2) 
共通テーマ:blog

お別れ

金曜日、朝からラミナリアを風船に入れ替えて子宮収縮剤を入れる。しばらくして鈍い痛みが襲ってきて、これが陣痛なのかと思いながらお腹をさする。2回目の収縮剤を入れた後に風船がぐしゃっと音をたてて抜けた。そのまま分娩室に移動したけど、赤ちゃんは出てこない。でも待機室は臨月の妊婦さんも運ばれてきたので助産師さんが気をつかってくれて、「向こうは騒がしいから、こっちでゆっくりしてようね」って分娩室にいさせてくれた。3回目の収縮剤を入れた後、静かになった待機室に戻る。朝からの痛みと収縮剤の副作用の発熱とでぐったりしてくる。従妹が腰をさすってくれたり、汗を拭いてくれたりする。彼女も固い椅子に座りっぱなしでつらそうだった。海外で経過の連絡を待ってる彼に電話して、時間がかかりそうだから、日本の夕方になりそう、とりあえず寝ててって言った。彼は何時でもいいから、寝てても起きるから電話してねって言ってくれた。

助産師さんが診察して、赤ちゃんはだいぶ降りてきているけど子宮口の開きが小さくてひっかかってしまっているらしい。これ以上収縮剤を入れてもしばらく時間がかかりそうなこと、収縮剤の副作用で高熱が出てきていること、破水しているから長引かせると感染を起こして次の妊娠が難しくなることなどから、夕方全身麻酔での手術になった。本当だったらもっと時間をかけて赤ちゃんを綺麗に出してあげたいんだけど、破水しちゃったし、副作用もひどいからこれ以上は危険でできないんだ、ごめんね、と先生が言った。麻酔が入り、「喉にすうーっと来たら教えてください」と言われて「ペパーミントの香りがする」と答えた後、頭を地面の底から引っ張られるような感覚を覚えた後は「終わったよ」って先生が私の肩をぽんとたたくまで一切何もわからなかった。緑色の手術着の先生が横を通るのをぼんやり見てまた眠りに落ちた。しばらく眠っていた後、ストレッチャーで部屋に戻り、看護師さんが従妹に何か言ってるのを見ながらまた眠る。

目が覚めたとき、赤ちゃんは270gの男の子だったことを従妹が教えてくれた。麻酔でぼんやりしながら従妹に「男の子だと思ってた」とか、つけようと思っていた名前のこととか、いろんなことをしゃべっていたような気がするけど、どれくらいはっきりしゃべっていたんだろう。270gって聞いて、ああ、大きくなってたんだと思った。がんばったんだねって思った。

従妹に、彼に電話してって言ったら、メールで知らせといたから、電話はもう少しちゃんとしゃべれるようになってからにしなさいって言われた。22時近くなってやっと電話して、男の子だったよって報告した。そうかそうかってじっと話を聞いてくれた。立ち会えなくてごめん、帰ったら迎えにいくからねって言ってくれた。

翌日、朝から先生が部屋まで様子を見にきてくれた。喘息発作が出なかったかとか、胸は張ってないかとか聞かれ大丈夫ですと答える。先生も助産師さんも入院中、一日何度も部屋に来て声をかけてくれてありがたかった。新生児室と違う階の病室にしてくれたり、待機室が臨月の妊婦さんと一緒にならないようにとか、いろいろ配慮してくれたので、その点でイヤな思いをすることもなかった。

手術後2日目、それまで出てこなかった涙が溢れて止まらなくて、どうしようもなく悲しくなった。たとえ生後数時間だったとしても彼にはちゃんと寿命があったのに私が勝手に縮めてしまったのかも、、、という思いや、前日のエコーで動いていた心臓や足の指などを思い出して、自分の決断が正しかったのかどうかと考えずにはいられなくて、涙が止まらず部屋でひとりで泣いているときに、先生が入ってきた。泣いている私の肩をさすり、「大丈夫だよ、またできるから。ちゃんとまた妊娠できるように処置したんだから。あなたは妊娠できる身体なんだから大丈夫。」と言ってくれた。本当はあんまり言いたくないことだけど、と前置きして先生には2人の子供がいるけど、その前に奥様は4回流産されていることを話してくれた。「こんな仕事をしていたって、そういうことは起きるから。でも、それでもできるんだから、あきらめちゃだめだ」って。赤ちゃんをあきらめた時、病院の心ない対応に傷ついた人がたくさんいるみたいだけど、その点では私は恵まれていると思った。

月曜日、葬儀屋さんが来て埋葬の手続きをする。予定日は1月だったから産着とか何も用意していなくて、棺に一緒に入れてあげるものが何もない、私のものを入れてもいいですかと泣いてしまった私に葬儀屋さんが「いいですよ、お母さんのハンカチか何かを一緒にいれてあげてはどうでしょう」と言ってくれたので、そうすることにした。お骨を引き取りますか?共同の納骨堂に入れますか?と聞かれ、私が死んだ後に誰も参ってくれなかったらかわいそうだし、お骨を手元に置いていると一生立ち直れないかもと思って共同の納骨堂に納めてくださいとお願いした。でも、今となっては手元にお骨を引き取った方が気持ちの切り替えは早くできるのかも、、、と思ったりもする。お参りはできるので、納骨されたらお参りに行ってこようと思う。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:妊娠・出産

病院へ

水曜の朝、病院へ行き主治医と話をする。主治医は宗教上の理由で最後まで見切れないことを私に詫びて、評判のよい病院を紹介してくれた。先生や看護師さんも親切で対応が良いとのこと。病院を出てその足で紹介された病院へ。紹介状や大学病院からの診断書などを見ながらこれから始まる処置や手続きについて説明があった。「赤ちゃんはお見せできないんですよ」って言われた。週数が浅いから子宮口はまだ固い上に赤ちゃんの骨格は未完成だから、綺麗に出てこない場合の方が多いのだそう。そんな状態の赤ちゃんを見せるわけにはいかないからご了承くださいと言われた。医療関係者にとっても辛い仕事なんだろうなーって思った。その後、赤ちゃんと子宮の状態を見るため超音波検査。先生が「見たいですか?」と聞かれ、最後にちゃんと見ておきたかったから「はい」と答えた。小さな心臓はドクドクと動いていて、動いてる足は指まではっきり見えた。

手術のための同意書に彼のサインがいるのだけど、彼は海外出張中。帰国してからでも手術は可能だけど、週数がすすむと更にリスクが上がるということで電話での同意になった。
明日の朝入院して子宮口を開くための処置をすることになった。今日は帰っていいということなので、会社へ行って明日からの休みとその段取りをしようと思ったが、駅まで行ったものの足が向かない。泣かずに話ができるだろうか。上司の携帯に電話をかけて明日から入院することになった、段取りだけ話してすぐ帰ることの許可をもらって、ようやく会社へ。妊娠の経過がよくないことは「赤ちゃんが亡くなるかも」と言われたときに伝えてあったけど、自分で赤ちゃんをあきらめることにしたとは辛くてとても言えず、赤ちゃんが亡くなってしまったと言った。本当のことを言えない自分が弱いとも思ったけど、やっぱりどうしても言えなかった。彼も言わなくていいよ、ただでさえ辛いんだからと言ってくれたので少し楽になった。

木曜の朝、ラミナリア挿入の処置を受ける。子宮口が固く、なかなか入らないだろうと言われていたけど、なんとか5本は入ったらしい。ネットで見ているともっとたくさん挿入している人もいるみたいなので個人の状況により違うんだろうと思った。処置は痛かったけど深呼吸をしながら我慢した。「よく我慢したね、起きられますか?」と言われて初めて痛みで動けないことに気づき、少しそのまま内診台で毛布をかけてもらって休ませてもらう。その後歩いて病室に移動する途中で痛みのショックか気分が悪くなる。看護師さんが荷物を持ってくれて、ゆっくり深呼吸をしながら病室へ。ぐったりと横になると少しは吐き気がましになる気がした。一時間くらい横になっていたら彼から電話。痛みのせいか話し方が麻酔でもかかっているようにぼんやりしているらしく、彼は事前処置でも麻酔をしたのかと思ったらしい。入院して処置が始まったことを話してまた眠りに落ちる。目が覚めたとき、お腹の赤ちゃんが動いた気がして切なくなった。夕方、ラミナリアを風船に入れ替える処置をするはずだったが、思ったより子宮口が開いていなくて風船は入らなかったので再度ラミナリアを7本挿入。処置の途中で破水したらしく熱い羊水がたくさん流れてきた。じゃーっという音がしたような気がした。

処置室を出るとき、助産師さんに「痛くて辛かったでしょう、大丈夫?」と言われ、「痛いけど、赤ちゃんをあきらめなきゃいけないことの方が辛い」と泣いてしまった。障害があっても生きていてくれるなら産みたかったことなど、異常の可能性を告げられてからずっと思ってたことを泣きながら話した。年配の助産師さんは私の肩をさすりながら「赤ちゃんがお母さん泣かないでって言ってるよ。今は泣いてもいいけど、どこかで気持ちを切り替えなきゃだめだよ。赤ちゃんはね、お母さんを選んでお腹に来るの。このお母さんだったら、辛いことも受け止めてくれる、障害がある自分のことも大事にしてくれるって思ったからあなたのところに来たんだよ。だから決めた以上はちゃんと見送ってあげて。いつまでも泣いてたら次の赤ちゃんが来ないよ」って言ってくれた。ご自身も妊娠に気づかず予防注射を受けてしまい、心奇形の可能性があると言われて産む・産まないで相当悩んで当時はエコーもなかったから、産まれるまで全くわからず不安だったことなどを話してくれた。話を聞いてくれて泣かせてくれたことで少し救われた気がした。

夜の点滴のときに従妹が来てくれた。来なくて大丈夫と言ったんだけど彼が出張中だというとどうしても付き添うといって神戸からわざわざ来てくれたのだ。ひとりでも大丈夫なつもりだったけど、やっぱり心強くてありがたい。何かあったら彼に連絡してねって連絡先などを伝えた。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:妊娠・出産

人工死産という選択

大学病院で全前脳胞症を告げられてから、赤ちゃんは産んじゃいけないんだと思って過ごしていた。大学病院で「産むかどうかよく考えてください」と言われたけど、産まないことを選択したとしても、いつもの病院は宗教上の理由により人工的な流産・死産をしないことになっている。たとえ母体保護のためで、妊娠継続することが母体の生命を左右するようなケースでも心臓が動いている赤ちゃんを流産・死産させないポリシーなのだ。そのことを大学病院の医師に告げ、「もし産まない選択をした場合、その処置はこちらでしていただけるんでしょうか」と聞くと「それは別途相談ですね。うちは基本的に病気を治すための病院ですから、原則としてはしないんです」と言われた。

そんな重い診断名を告げた上、もう19週だから早く決断するようにと言われ、でもうちではしないって、あまりにひどい気がした。ただでさえショックで呆然としているのにこの精神状態で1週間以内に処置できる病院を自力で探すの?落ち着いて考えればまずアポがなくても主治医のところに行くべきだったんだけど、アポは来週の水曜日。自分で探さなきゃ、どうしよう、、と思うばかり。

やっぱり産もうかとも考えた。でも産まれても数時間で死んでしまうのに。この数週間、お腹の赤ちゃんがいつ亡くなるのかとびくびくしながら過ごしてきた。大丈夫、奇跡が起こって元気になるよって思ったり、いつ亡くなるかと怯えたりの繰り返し。そんな状況をあと数ヶ月続けるなんて私の心は正常を保っていられるのだろうか。ようやく赤ちゃんをあきらめる決心をしたのに、その処置をする場所がないのなら、どうして私はこんな決断をしなきゃいけなかったの?ネットで調べても「人工中絶手術は12週未満のみ受付」というところや手術をしないという病院が多い。土日だから電話をしても留守電ばかり。中絶という言葉にも抵抗があった。間違ってできてしまった子供がいらないから中絶するんじゃない。ほしくて作った子供をあきらめなきゃいけない、やっとの思いであきらめる決心をしたのに、「中絶」という言葉でひとくくりにされる悲しさや悔しさ。それと、子供をあきらめようとしている自分は「中絶」するひどい人間なんだとも思ったり。考えれば考えるほど息が苦しくなって冷や汗が出て、パニック発作を起こしかけているのが自分でわかる。落ち着かなきゃ。

彼が「大丈夫だよ、まずは主治医に会って一緒に探そうよ」って言ってくれるけど、来週中でないといけないのに来週は彼は出張でいないと心細くなる。世界でひとりぼっちになった気がした。お腹の赤ちゃんと一緒に交通事故にでも遭えばいいのに、事故にも遭えないのなら自分から赤ちゃんと一緒に死んでしまおうとか馬鹿なことを考えたりもした。遊びにきた仲良しの従妹に話をしたら、いろいろ知り合いをあたってくれたけど、結局は主治医に相談するしかなさそう。彼や従妹と話して少し落ち着いた。


nice!(0)  コメント(6) 
共通テーマ:妊娠・出産

全前脳胞症

朝から一日休みをとって紹介された大学病院へ。彼は一緒に来られないけど、診察が終わる頃待ち合わせて水天宮に安産のお参りに行くことにした。

主治医から指示されたとおり産科のハイリスク外来へ紹介状を提出して待つ。予診で主治医から言われたことなどを説明した後、超音波検査へ。さすが大学病院、素人目に見ても検査機器のレベルが違うのがわかる。

「初診なので複数の医師で超音波画像を診た上で最後に説明しますので、しばらくは黙って診察しますがご了承くださいね」と説明を受け、ベッドに横になる。若手と思われる先生が二人診察した後、ベテランらしい先生に交代する。「CHDもある?」「タンガンはないね」とかなんとか聞いてもわからない略語が飛び交う。「羊水検査は受けなかったの?」と聞かれ、「ダウン症でも病気でも育てるつもりだから受けませんでした」と主治医に何度も答えたとおりに答える。先生は心臓を拡大して診たり、いろいろな部分を拡大したり画像を着色したりしていろんな角度から長い長い時間をかけて診てくれた。超音波だけで30分以上診ていたと思う。

どんな言葉で説明を受けたか覚えてない。診断名をいくつか言われて、「心臓はともかく、脳の方が致命的ですね」と言われたのは覚えてる。脳?なんで?私は心臓を診てもらいにきたのに、なんで脳?先生の言葉が頭の中にちゃんと入ってこない。「まず普通の生活はできません。おそらくお腹から出てすぐに呼吸不全が起こる。人工呼吸器にすぐ繋いだとしても、もって1-2ヶ月、生後数時間の可能性も高いです。もしかしたらお腹の中で今週来週に亡くなる可能性も高い。」「とりあえず別室で再度詳しく説明します」って。

待っている間、彼に「心臓だけじゃないみたい。かなり悪いみたい」とメールする。彼も「とりあえず待合せ場所へ向かって待ってるから」って。

診断は全前脳胞症という脳の病気と心室中隔欠損と両大血管右室起始というふたつの心奇形。「心臓だけならいくらでも手術ができますが、脳は治療方法がないんですよ」って。やはり染色体異常の可能性が高い、というかほぼ確実だそう。実際には染色体検査をしないとわからないけど、これまでの所見を総合してみると、おそらく13トリソミーという染色体の異常だそう。染色体異常は数字が小さくなればなるほど重度で、ダウン症と言われる21トリソミーは染色体異常の中では比較的軽度で生きていくことも可能だけど18トリソミーや13トリソミーだと助からないケースの方が多いので、積極的に治療する対象ではないらしい。18トリソミーのほうがまだ治療対象になることもあるらしいが、13トリソミーはほぼ治療対象にならないとか。

生まれてきても呼吸不全で亡くなるのを待つか、生まれたとたんに抱くこともできずに人工呼吸器に繋がれて1-2ヶ月の寿命を終える私の赤ちゃん。もしかすると生まれてくることすらできないかもしれない。全前脳胞症とは脳の生成過程で、右脳、左脳にきちんと分かれないままの形成不全だそう。同じ全前脳胞症でもいろんな程度があるらしく、私の赤ちゃんは生きていくための呼吸をするとかの指令を脳が出せない状態らしい。エコーのときに聞いた「タンガン」は「単眼」のことだと後で調べてわかった。脳がうまく分かれない場合で最重度の場合、顔が左右にうまく分かれずに目もふたつできない場合もあるとか。そこまでは行ってなくて目は二つあったものの、呼吸ができないなんて。

彼に説明しなきゃって先生に診断名を何度も聞いてメモをとる。「とりあえず一旦主治医の先生のところへ戻って、どうするか相談してください」と言われた。産みたい、育てたい気持ちに変わりはないけど、脳と聞いて治療法がないと聞いて全身の力が抜けていくのがわかる。がんばったからといって、努力したからといって、私が仕事をやめて付き添ったからといって、どうしても助からないことが決まっているなんて。生まれて数時間で呼吸ができなくなるのに産むというのは生まれてくる赤ちゃんに苦しみを与えるだけ?泣くことも笑うこともなく呼吸することも親に抱っこされることもなく、死ぬためだけに生まれてくるの?妊娠すれば、私さえ気をつけて転んだり重いもの持ったりしなければ、安定期に入りさえすれば、赤ちゃんはちゃんと生まれてくると思ってたのに。

呆然としたまま先生にお礼を言って会計を済ませ、彼との待合せ場所へ。これから話さなきゃいけないことはわかってるんだけど、「暑いねー、今日は神宮の花火大会だね」「浴衣の人がたくさんいたね」とどうでもいい会話を繰り返す。コーヒーショップに入り、メモしたノートを見せて先生から聞いた内容を伝える。私は今回はあきらめなきゃいけないんじゃないか、という絶望的な気持ちになってたし、それは彼も同様だった。彼は私の身体も心配していて、どうしても助からない赤ちゃんなら、あきらめる時期が早い方が私の身体への負荷が少しでも小さいんじゃないかって気にしてた。かといって私に「早くしたら」ということもできずに言葉を探しているのがわかる。やっとの思いで「今回はあきらめるしかないかも。あきらめてあげないと赤ちゃんがかわいそうなのかも。」と口に出す。何があってがんばって育てるつもりだったけど、がんばってなんとかなる範囲を超えてるかもって絶望感に押しつぶされそう。ようやく今回はあきらめるしかないねってふたりで思った。

とりあえず一緒に家に帰り、彼は仕事に戻った。私はネットでいろいろ調べて泣いたり、ぼんやり過ごしたり。彼も仕事に戻ったけど診断名を頼りにいろいろ検索していかに病気が重度かということを知ったり、同じ病気で子供を亡くした人のページをみて、オフィスで涙をこらえていたらしい。とてもとても悲しいけど、彼もそうやって調べて泣いていたんだと思うと、私ひとりじゃない、赤ちゃんをあきらめなきゃいけないかもしれないのが現実だったとしても、この子にはお父さんがいるんだって心強く思った。

夜、彼ともう一度話しているときに、お腹がポンって動いた気がした。初めて感じた胎動だった。絶望的な診断を聞いて、ようやくあきらめる決心をした後に感じた初めての胎動だった。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:妊娠・出産

復活!?

赤ちゃんはまだ生きてるかしら?なんて不安な気持ちのまま過ごした10日間。気のせいかお腹が大きくなってる気がする。成長が止まっていると言われたけど、やっぱり成長してる?それとももう亡くなってしまっていて、お腹がはっているだけ?なんていろんなことを考えながら、彼と病院へ。

予診で看護師さんに「体調はどう?」って聞かれたので「私の体調はいいですけど。。。」と言うと「そうですよね、先生に赤ちゃん見てもらいましょうね」って。先週泣いてしまったときに別室に連れて行ってくれた看護師さんだったから覚えていたのかも。

先生が彼に「先週診た時に成長が止まっていたんですよね。」と説明しながらエコーが始まる。「あれ?元気に動いてますね。大きくなってますね」と先生。「本当ですか?」と私と彼。「うん、確かに2週間遅れだけど、ちゃんと10日分大きくなってる。18週だけど16週の大きさですね。」って。先週は91gしかなかった体重も138g。標準よりは小さいけど、ちゃんと成長してた!エコーで見ても手足を元気に動かしてるのがわかる。ちゃんと顔が確認できて小さな心臓が動いてるのがわかる。赤ちゃんは生きてるんだ、と思うとうれしくてうれしくて。この10日間泣いたり涙ぐんだりして過ごしていたのがウソみたい。

「先週はまったく元気がなくて成長も止まってたから、もうダメかと思ったけど、お母さんの愛情で復活したんですね、心配させてごめんね。お母さん、体重減っちゃったねー」って先生。「このくらい元気だったら、大丈夫でしょう。ただ、心臓に小さな穴が開いてるかもしれない。中隔欠損の疑いがあります。おふたりはなんとしても治療して育てる方針だと伺ってますので、大学病院に紹介状を書くから、精密検査を受けてください。」って紹介状を書いてくれた。早速来週行くことにした。

帰り道、彼とよかったね、よかったねって繰り返す。「中隔欠損だったら症例数も多いし、治療法とかたくさんあるから大丈夫だよ、なんとかなるよ」って彼。まるでジェットコースターに乗ってるみたい。先週はもう立ち直れないくらい落ち込んだけど、本当にうれしくて。彼いわく、私の表情が全然違うんだって。彼もほっとした様子で、よかったよかったって何度も繰り返して、「来週、水天宮へお参りに行こうね」って。そういえば5ヶ月に入ったら行こうって言ってたのに先週のショックで忘れてたね。そうだね、行かなきゃね。

午後からは会社へ行く。もしもに備えて数日分のバックアップを考え、段取りをしていたけど無事出社できた今となっては、昨日3日分の仕事しなくてよかったじゃん、って感じ。でもうれしい誤算だった。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:妊娠・出産
前の10件 | -
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。