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全前脳胞症

朝から一日休みをとって紹介された大学病院へ。彼は一緒に来られないけど、診察が終わる頃待ち合わせて水天宮に安産のお参りに行くことにした。

主治医から指示されたとおり産科のハイリスク外来へ紹介状を提出して待つ。予診で主治医から言われたことなどを説明した後、超音波検査へ。さすが大学病院、素人目に見ても検査機器のレベルが違うのがわかる。

「初診なので複数の医師で超音波画像を診た上で最後に説明しますので、しばらくは黙って診察しますがご了承くださいね」と説明を受け、ベッドに横になる。若手と思われる先生が二人診察した後、ベテランらしい先生に交代する。「CHDもある?」「タンガンはないね」とかなんとか聞いてもわからない略語が飛び交う。「羊水検査は受けなかったの?」と聞かれ、「ダウン症でも病気でも育てるつもりだから受けませんでした」と主治医に何度も答えたとおりに答える。先生は心臓を拡大して診たり、いろいろな部分を拡大したり画像を着色したりしていろんな角度から長い長い時間をかけて診てくれた。超音波だけで30分以上診ていたと思う。

どんな言葉で説明を受けたか覚えてない。診断名をいくつか言われて、「心臓はともかく、脳の方が致命的ですね」と言われたのは覚えてる。脳?なんで?私は心臓を診てもらいにきたのに、なんで脳?先生の言葉が頭の中にちゃんと入ってこない。「まず普通の生活はできません。おそらくお腹から出てすぐに呼吸不全が起こる。人工呼吸器にすぐ繋いだとしても、もって1-2ヶ月、生後数時間の可能性も高いです。もしかしたらお腹の中で今週来週に亡くなる可能性も高い。」「とりあえず別室で再度詳しく説明します」って。

待っている間、彼に「心臓だけじゃないみたい。かなり悪いみたい」とメールする。彼も「とりあえず待合せ場所へ向かって待ってるから」って。

診断は全前脳胞症という脳の病気と心室中隔欠損と両大血管右室起始というふたつの心奇形。「心臓だけならいくらでも手術ができますが、脳は治療方法がないんですよ」って。やはり染色体異常の可能性が高い、というかほぼ確実だそう。実際には染色体検査をしないとわからないけど、これまでの所見を総合してみると、おそらく13トリソミーという染色体の異常だそう。染色体異常は数字が小さくなればなるほど重度で、ダウン症と言われる21トリソミーは染色体異常の中では比較的軽度で生きていくことも可能だけど18トリソミーや13トリソミーだと助からないケースの方が多いので、積極的に治療する対象ではないらしい。18トリソミーのほうがまだ治療対象になることもあるらしいが、13トリソミーはほぼ治療対象にならないとか。

生まれてきても呼吸不全で亡くなるのを待つか、生まれたとたんに抱くこともできずに人工呼吸器に繋がれて1-2ヶ月の寿命を終える私の赤ちゃん。もしかすると生まれてくることすらできないかもしれない。全前脳胞症とは脳の生成過程で、右脳、左脳にきちんと分かれないままの形成不全だそう。同じ全前脳胞症でもいろんな程度があるらしく、私の赤ちゃんは生きていくための呼吸をするとかの指令を脳が出せない状態らしい。エコーのときに聞いた「タンガン」は「単眼」のことだと後で調べてわかった。脳がうまく分かれない場合で最重度の場合、顔が左右にうまく分かれずに目もふたつできない場合もあるとか。そこまでは行ってなくて目は二つあったものの、呼吸ができないなんて。

彼に説明しなきゃって先生に診断名を何度も聞いてメモをとる。「とりあえず一旦主治医の先生のところへ戻って、どうするか相談してください」と言われた。産みたい、育てたい気持ちに変わりはないけど、脳と聞いて治療法がないと聞いて全身の力が抜けていくのがわかる。がんばったからといって、努力したからといって、私が仕事をやめて付き添ったからといって、どうしても助からないことが決まっているなんて。生まれて数時間で呼吸ができなくなるのに産むというのは生まれてくる赤ちゃんに苦しみを与えるだけ?泣くことも笑うこともなく呼吸することも親に抱っこされることもなく、死ぬためだけに生まれてくるの?妊娠すれば、私さえ気をつけて転んだり重いもの持ったりしなければ、安定期に入りさえすれば、赤ちゃんはちゃんと生まれてくると思ってたのに。

呆然としたまま先生にお礼を言って会計を済ませ、彼との待合せ場所へ。これから話さなきゃいけないことはわかってるんだけど、「暑いねー、今日は神宮の花火大会だね」「浴衣の人がたくさんいたね」とどうでもいい会話を繰り返す。コーヒーショップに入り、メモしたノートを見せて先生から聞いた内容を伝える。私は今回はあきらめなきゃいけないんじゃないか、という絶望的な気持ちになってたし、それは彼も同様だった。彼は私の身体も心配していて、どうしても助からない赤ちゃんなら、あきらめる時期が早い方が私の身体への負荷が少しでも小さいんじゃないかって気にしてた。かといって私に「早くしたら」ということもできずに言葉を探しているのがわかる。やっとの思いで「今回はあきらめるしかないかも。あきらめてあげないと赤ちゃんがかわいそうなのかも。」と口に出す。何があってがんばって育てるつもりだったけど、がんばってなんとかなる範囲を超えてるかもって絶望感に押しつぶされそう。ようやく今回はあきらめるしかないねってふたりで思った。

とりあえず一緒に家に帰り、彼は仕事に戻った。私はネットでいろいろ調べて泣いたり、ぼんやり過ごしたり。彼も仕事に戻ったけど診断名を頼りにいろいろ検索していかに病気が重度かということを知ったり、同じ病気で子供を亡くした人のページをみて、オフィスで涙をこらえていたらしい。とてもとても悲しいけど、彼もそうやって調べて泣いていたんだと思うと、私ひとりじゃない、赤ちゃんをあきらめなきゃいけないかもしれないのが現実だったとしても、この子にはお父さんがいるんだって心強く思った。

夜、彼ともう一度話しているときに、お腹がポンって動いた気がした。初めて感じた胎動だった。絶望的な診断を聞いて、ようやくあきらめる決心をした後に感じた初めての胎動だった。


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